備中 すくも山城(足守)びっちゅう すくもやまじょう
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詳細不明。天正10年(1582年)織田(羽柴)氏による高松城攻めのさいに「すくも塚の城」、「すくも城」を落としたとの史料が残されており、毛利方の城であったと考えられている。
すくも山城は国道429号線に面した丘陵に築かれていたが、現在は丘陵自体が消滅してしまっている。
農地開発の土木工事によって丘陵は消滅してしまっているが、このとき行われた発掘調査で三段の曲輪、南北両側に石積、東に堀切が検出されている。