築城年代は定かではない。
天正8年(1580年)宇喜多直家は毛利方であった冠山城を攻めたが、城主林三郎左衛門尉重真はこれを撃退している。
天正10年(1582年)織田(羽柴)氏が高松城を攻めたとき、籠城していた兵の火縄銃の火がもとで火災が発生し、城内が混乱しているさなかに織田勢によって攻められ落城、林重真は自刃したという。
冠山城は国道429号線に面した比高30mほどの丘陵に築かれており、現在主郭に石碑が祀られている。
石碑がある最高所が主郭となり、その周囲に曲輪群が拡がり山全体が城塞となっていたと考えられる。主郭の南西側面には大きな三条の竪堀があり畝状竪堀群となっている。
登口は東側で道標が出ている。車は北側にある足守コミュニティセンターを利用できる。
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