築城年代は定かではない。田原氏の城とされる。田原氏は大友能直の子泰広が国東郡の田原別府に住んで田原氏の祖となったことに始まる。
正平年間(1346年〜1370年)四代田原貞広のとき飯塚城へ移った。
沓掛城は西へ伸びた尾根の一つに築かれている。
東西二郭で東が主郭となる。主郭は方形に近い形状で北から東に掛けて土塁が巡り、南を除く三方に巨大な横堀が巡っている。ただ、北東隅部分は堀がなく、切岸も特に高い訳ではない。この部分は現在の登山道が来る部分で後世改変されている可能性もあるが、北の横堀の東端は止めてあるので、もともと堀がなかったようであも。曲輪の内側は北淵がやや低く、北西隅は大きく窪んだ地形を残す。
主郭と西曲輪の間は土橋が架かっている。西曲輪は南側を削って平坦としているが、北側は削り残した地形がそのままで、曲輪としての造成としてはやや不自然である。西は主郭に祀られている大神宮への参道であったようだ。
北側の道路沿いに沓掛城の石碑があり、そこが入口。入ると左上に金比羅山が祀られているが、城へは谷筋を真っ直ぐ登れば良い。
近くには田原家五重塔や丸山墓地がある。
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