築城年代は定かではない。
文明年間(1469年〜1487年)に赤松喜三郎が守護代として居城したとも云われる。
文明15年(1483年)福岡合戦で松田氏方の山名俊豊が陣を構えた所である。
城は吉井川と砂川との間にある標高156.5mの大日幡山山頂に築かれている。
山頂部は全体的に放射状になだらかな傾斜があり、平坦部は極一部のようである。ただ緩斜面の先には明瞭な切岸が残っている。
山頂から南西端付近には土塁と思われる土盛が残っている。北尾根に通じる道には小曲輪があるが、北方の尾根の頂部付近は自然地形のようである。東尾根の部分には出丸があり西側に土塁と堀切が残っていたらしいのだが、現在は水道施設の建設によって大きく削られて遺構は全く残っていなかった。
北西麓を通る国道2号線バイパスの高架下の側道脇に登山口がある。地図。東の水道施設から無理矢理登る手もある?
最寄り駅(直線距離)