築城年代は定かではない寿永年間(1182年〜1184年)以前に築かれており、当時備前第一の城と称せられていた。
元暦の頃、豊後の臼杵惟澄、緒方惟義、伊予の河野通信などが今木城に籠ったが、平教経が押し寄せて落城したと云う。
元弘の変の後、南朝に味方した児島高徳の弟今木範秀が居城とした。
城は今木小学校の西にある丘陵の頂部に築かれていた。
現在城跡は大きく削られており遺構は消滅したようだ。東の端に案内板も裏書もないが石碑が建っている。
城山の西を通る県道69号線沿いに道標が建っている。山上まで車で行く事ができるが入る道を誤るとかなり狭い道なので注意が必要。
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