掲載写真数
形態
山城(163m/160m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
郭,堀,井戸
城 主
島村氏
歴 史
築上年代は定かではない。
備前守護代浦上氏の重臣高取備中の居城とも云われるが定かではなく、後に台頭した島村氏の居城である。
島村豊後守は天文3年(1534年)
砥石城の宇喜多能家を攻め滅ぼしたが、永禄2年(1559年)には能家の孫宇喜多直家によって攻められ滅ぼされた。
説 明
登山口から墓地の脇を抜けて登って行くと三の丸に出る。
要所には案内指標が設置されており迷うことはない。
三の丸手前の堀切に案内板が設置されている。
山頂の本丸の南側は堀切で断ち切り、東に三の丸、北に二の丸を配している。
井戸が3つ山の中腹に残っているが、埋もれており水が若干染み出ていることでしか井戸跡と判断することはできない。
案 内
県道231号線沿いにある東谷公会堂に登山口の案内がある。
登山口付近には駐車スペースはないのでここから徒歩で行く。最寄り駅(直線距離)
2.4km 大富駅
3.5km 邑久駅
4.2km 西大寺駅
6.9km 大多羅駅
7.0km 長船駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年3月