大永3年(1523年)隠居生活を砥石城で送っていた宇喜多能家だが、天文3年(1534年)
高取山城主島村豊後守に夜襲をかけられ、病床にあった能家は防戦できず自決したが子興家と孫直家は落ち延びた。
宇喜多氏の本領を横領した島村氏だが砥石城は浦上氏によって浮田大和守に与えられた。
永禄2年(1559年)成長した宇喜多直家は主君浦上宗景の命により
高取山城主島村豊後守を討ち取り舎弟の浮田春家を砥石城主とした。
直家が石山城を奪い
岡山城を築城すると春家は後に
沼城へと移り備前平定後は廃城となった。
登山口からひたすら登ると一気に本丸に達する。
本丸部分は展望も良く整備されて案内板が設置されているが、日本城郭体系に掲載されている写真のような石積を見ることはできなかった。
出丸とされる西南の尾根に行こうと本丸から笠松明現宮へと続く道を歩き、出丸の尾根の付け根にある鉄塔まで登ったものの出丸まで北上することができず...