築城年代は定かではない。
文明年間(1469年〜1487年)には天神山城主浦上宗景の家臣鷲見越中の居城であったという。その後、助右衛門、八郎左衛門、九郎右衛門と続き、九郎右衛門は宇喜多基家に仕えたという。
城稲荷神社の周辺が尾張城址とされ、そこに石碑が建っている。
古くから穀倉地帯として栄えていたらしく、石碑の裏書には「弥生時代尾治連がこの敷地に城を築き城内に大山つみ神の御娘磐長姫命を祀り太伯の海の鎮として警備に当たっていた。天長5年(829)戊申正月朔この城稲荷神社で奥沼江沼(現在の千町平野)の開墾の御鍬初の儀が行われた。」と記されている。
邑久駅前の県道223号線から県道224号線に入り東進すると「尾張交差点」があり、それを右折して南下する。右手に「邑久分団消防機庫」があるが、その前の道を東へ進んで左奥に城稲荷神社がある。
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