築城年代は定かではないが七世紀頃に築かれた神籠石系の朝鮮式山城と推測される。天智2年(663年)白村江の戦いで唐・新羅連合に敗れた後、国内の防御を固める目的で築かれた。
大廻・小廻山城は標高196mの大廻山と標高198.8mの小廻山一帯に築かれている。 大廻山と小廻山のちょうど間くらいに設置された案内板に、山の地形と土塁線、そして木戸の場所が記された図がある。これによれば、土塁線は大廻山・小廻山の標高150m〜180m付近を土塁が巡っているようで、木戸水門は三箇所発見されており、いずれも西側に位置する。
現在山上は民家や畑があり、土塁線を歩いて確認するのは簡単ではないようだ。唯一、一の木戸水門の石塁が北西麓の瀬戸町観音寺の県道(瀬戸町郷土館付近)から道標があり、それに従って北西の谷間の道を登っていくと水門を見学することができる。
現在、東の山腹に位置する常楽寺は山号を築地山と号する天台宗のお寺で、その創建は古く平安時代末期に遡るとされる。
水門は岡山市東区瀬戸町観音寺にある瀬戸町郷土館の所から道標が付いており、それにしたがって歩いて行くと一の木戸水門に至る。 (郷土館の地図)
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