備後 古城山城(和知町)びんご こじょうやまじょう
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詳細不明。和智氏の城と推測されている。
和智氏の初期の城と考えられており、後に南天山城へ居城を移している。
古城山城は比高25mほどの丘陵に築かれていたが、中国自動車道建設によって消滅している。南麓には土居の地名も残る。
縄張は西背後の尾根を土塁と堀切で遮断し、南東尾根先に向かって三段ほどの曲輪を配して先端に堀切があった。曲輪の削平は甘く古墳が残っている程度であったという。
中国自動車道建設に伴って発掘調査が実施され、存続期間は13世紀前半/中頃から十五世紀代とされる。