詳細不明。城主は伊多木四郎義宗、三浦因幡義晨(福馬国光)などが伝えられる。
六郎山城は県道63号線と三和総合運動公園から北の喜楽園入口に通じる林道の間にある標高400m程の山に築かれている。
単郭の城であるが南北約100mと規模が大きく幅約2m、内側の高さは約2mの土塁が横矢の折れをともなって囲繞し、土塁の内側や外側にも石積がなされている。石材は比較的大きく、長方形に加工されているものが多いが、矢穴などは見当たらない。
虎口は三ヶ所あり、南東の虎口1は外枡形、南西の虎口2は小さな曲輪iiから右折れで入る虎口。北西の虎口3も右折れで入るように外側に小さなテラスが付いているが、そこからの経路は不明である。虎口3は開口部が石積補強されている。これらの虎口形状は広島県の山城ではあまり見かけない発達したもので、虎口と屈折しながら囲繞する土塁は極めて珍しい。
曲輪の周囲はほぼ全周畝状竪堀群となっており、畝状竪堀群1と畝状竪堀群3の辺りは横堀をともなっている。南尾根は堀切4で遮断しており、堀切と横堀、竪堀として伸びている。虎口2から出たことろに小さな曲輪iiを経てさらに下る通路がある。この曲輪iiの先には弧状の堀切から放射線状になった畝状竪堀群3、南は横堀と畝状竪堀群があり、より堅固な備えとなっている。
喜楽園入口から三和総合運動公園に抜ける林道の途中に立方体に石を詰めたものを積み上げて法面とした所が一箇所あり、その上が城跡になっている。南から道が通じていたようであるが、途中で無くなっているので、法面から直に登るのが簡単。
最寄り駅(直線距離)