詳細不明。城主は金築勝七郎、庄野(勝野)七郎、力子ツキ、庄ノ七郎、金築城庄七郎など様々伝えられているが、七郎の名は共通のようである。中腹にある井戸の伝説を記した案内板では、野武士の党首金築補七郎が築いたと記している。
津田明神山城は標高593.1mの明神山山頂に築かれている。 この辺りには「明神山」の名を持つ山が三つあり、北から上田明神山、津田明神山そして黒川明神山である。いずれも特徴的な山容になっている。
津田明神山城は山頂の主郭と西下の曲輪の二郭で構成する単純なもので、堀切などはなく、天然の要害を利用した城郭である。山頂の主郭は狭いが、西下の曲輪は東西に長く、それなりの広さがある。北の山腹には井戸があったといわれる平段があり、案内板が設置されているが、井戸跡は残っていない。
南側にある県道56号線沿いに登山道の道標と津田の明神山県自然環境保全地域の看板が設置されている。ここから山の西側へと車を進めるとアスファルト舗装からコンクリート舗装へと変わる辺りに駐車スペースがある。
最寄り駅(直線距離)