『芸藩通志』には「茶臼城 同村(下津田村)にあり、」とだけ記されている。
『日本城郭大系』では津田地頭職として甲山城主山内首藤氏の一族、建武3年に(1336年)京都三条河原にて足利尊氏に従って戦死した山内三郎通継、延文2年頃の山内兵庫允通氏がおり、城主ではないかとしている。
茶臼城は標高399.6mの茶臼山に築かれており、現在は町指定史跡となっている。
主郭、二郭、畝状竪堀群と同心円状になった構造で、主郭は一段小高く南東側に土塁を伴う。虎口は明瞭ではないが、西側のくの字に折れる部分と推測される。
主郭を囲繞する二郭は主郭の土塁下が一段高く神社が祀られている。土塁はわずかに南東側に確認できるのみであるが、横矢が掛かるようにところどころ屈折している。二郭の虎口は南にあり左折れで入る構造で虎口下には畝状竪堀群がない。
畝状竪堀群は大きく4つの区画に確認することができる。現在参道が南東側から付いておりその西側にある区画1は横堀から土塁が隆起した畝状竪堀である。反対に東側の区画2は横堀が竪堀として続き、そこから連続する畝状竪堀となっている。
虎口1の北側、西側面は南側が土塁が隆起するタイプであるが、北側は堀込み型に変わり、不明瞭な区画3へと変わっていく。
南東側の車道から神社に向かう参道が付いており、入口付近に駐車可能である。