天智2年(663年)に唐・新羅軍と対峙した日本と百済の連合軍は海戦において大敗した。 大和朝廷は唐・新羅軍の侵攻に備える為に西日本に朝鮮式山城を築いたが、鬼ノ城もその一つと考えられている。
鬼ノ城は標高397mの鬼城山に築かれており、現在は国指定史跡として整備されている。
古代山城である鬼ノ城は鬼城山の尾根を一周する形で土塁や石垣を築いており、その途中に城門四基、水門五基を設けている。城門は西門、南門、東門、北門とあり、唯一西門のみが城門として復元されている。
西門付近の城壁は石垣とともに土塁も復元され、土塁の上には珍しい敷石が残る。
車の場合は山上にある駐車場まで行くことができるが、途中の道は細いので注意が必要。駐車場の所に無料のガイダンスがあり、西門を遠くから見る展望台などがある。
西門付近のみだと30分もあれば十分見学可能だが、外周を一周するなら2時間程は必要である。
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