詳細不明。毛利の部将長門右衛門尉景成が城主であったと伝えられる。
立石城は粟井の城山一帯に築かれており、付近には高松の合戦で毛利方の城であった宮路山城や織田方の城であった鍛冶山城があり、この城も関連していた可能性がある。
立石城は城域が広く便宜状、立石城A、立石城B、立石城C、立石城Dのブロックに分けて紹介する。
立石城Aは立石城の城域のなかで最も高い標高270mほどの峰に築かれている。
主郭A1は広く削平され南端に土塁状の高まりを残すが櫓台のような幅もなく用途不明である。
曲輪A2は南北二段で南端に虎口状の開口部があるが、外側への通路は踏み跡程度で堀も確認できない。
主郭A1から北東へ伸びた尾根は、尾根中央部を高く残して、側面に通路状の削平地を設けており、それが北端A4、A5まで続く。
主郭A1から西へ伸びた尾根に幅広の堀切1が確認できるが、それ以外の尾根には堀は確認できず、曲輪群B1に続く尾根も自然勾配のみである。
久田集落からため池のある谷筋の道を進むと曲輪群Dの南東尾根にある鉄塔へ登る道があり、そこから曲輪群Dに登るのが行きやすい。
曲輪群Cの東側にも鉄塔があるが、その間はヤブになっている。
地元の方の話では昔は七曲りの道を登って城山に上がっていたというが、そのルートは未確認である。
最寄り駅(直線距離)