阿波 櫛渕城あわ くしぶちじょう
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築城年代は定かではない。承久の乱の後に新補地頭に補任された秋元氏による築城と考えられている。
秋元盛貞の孫、成公は櫛淵左近とも称し、天正10年(1582年)中富川合戦で長宗我部軍と戦って討死した。天正13年(1585年)蜂須賀氏が阿波に入部すると秋元氏はこれに従った。
櫛渕城は櫛淵八幡宮の西の小山に築かれていた。現在山上には工場があってその入口に標柱があるが遺構は残っていないという。また麓の歩道脇に「乾の井」という井戸跡があったようだが、これも標柱のみで井戸は確認できない。