築城年代は定かではない。平安時代末期に平家の家人田口氏の一族、桜庭介良遠がいたが、阿波に上陸した源義経によって攻め落とされたという。
戦国時代には本庄太郎兵衛国兼の居城であったという。
熊山城は標高41mほどの独立丘陵に築かれていた。山は現在のJR牟岐線を敷設したさいに多くの土砂が採取され、近年さらに大きく土砂採取されて遺構はほぼ消滅したという。
『日本城郭大系』などに掲載されている図面を参照すると、山頂の主郭を中心として北に二段、南に一段の腰曲輪、西中央には大きな竪堀状地形が描かれている。