阿波 寺島城あわ てらしまじょう
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城主は福良佐渡守吉武で、山分城主福良出羽守長政の一族という。『古城諸将記』に「福永佐渡守 百貫」、『城跡記』に「天正年中落城、主将福良佐渡守吉武 源氏 紋酢将添三階菱、馬印幕紋水二色紙形」とある。
寺島城は現在の徳島県郷土文化会館(あわぎんホール)のあたりに築かれていたという。
『徳島県の中世城館』によれば寺島川と新町川に挟まれた三角州にあり、蜂須賀氏が徳島城を築城するにあたって、渭山城と寺島城を城域に取り込んだという。