築城年代は定かではない。城主は篠原玄蕃頭長秀で篠原自遁の子であった。
天正4年(1576年)三好長治が細川真之を攻めたが敗れた。このとき篠原長秀の勧めで三好長治は今切城に籠城したが、翌5年に細川真之の大軍に包囲された。長秀は城を脱して家臣の勘助を頼ったが、敵方に内通していたため討たれたという。
今切城は篠原神社と真観寺一帯に築かれていたという。「日本城郭大系」には神社と寺の間に空堀が残るとあるが、現状では確認できない。神社が一段小高くなっていることから、この境内が本丸であろうか。真観寺の看板の脇に旧今切城址と書いている。