阿波 沖ノ島城あわ おきのしまじょう
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城主は鈴江修善守道広とされる。道広は大永3年(1523年)足利義稙にしたがって阿波に入国したが、義稙が没したため、細川持隆に知行二十貫で仕えたという。
永禄5年(1562年)三好実休に従って和泉の久米田合戦で討死した。
沖ノ島城は現在の徳島市役所川内支所の辺りに築かれていたという。『徳島県の中世城館』によれば、遺構はないが川内支所から西に進んだところにある道広天神社が沖ノ島城の屋敷神とされ、向いにある墓地は鈴江氏の墓所という。