永正3年(1506年)清原安芸守高国によって築かれたと云われる。 「阿波志」によれば清原高国は備中国足守の住人で竹原庄を領して本庄へ移り住んだという。
清原高国は後に乗真と名乗り、子がいなかった為に今市城主宇奈瀬氏から養子を迎えて清原備後守乗慶と名乗らせた。乗慶の子の長吉は下大野へ移り住んだという。
本庄城は泉八幡宮の境内一帯に築かれていたという。 桑野川に面して一段小高くなった丘陵があり、その南端に本殿が祀られている。南下の境内も少し高くなっており、入口脇に土塁のような高まりがある。
この地から北西、本庄の中心付近に「海部屋敷」と「清屋敷」、その北に「北門」、南に「舟田」の地名があり、他にも「出屋敷」、「市場」など気になる地名が多く残る。