築城年代は定かではない。 「阿波志」によれば永禄年間(1558年〜1570年)に源康明が在城し、天正年間(1573年〜1592年)に佐藤伊賀守に代わったという。
源康明とは桑野河内守康明のことで、桑野城主東条関之兵衛の伯父東条出羽掾光秀の一族とされる。天正10年(1582年)中富川の戦いでは長宗我部方として参加しているが、牛岐城主新開実綱が元親に謀殺された後、桑野康明も殺された。
高原寺城は南へ張り出した尾根の先端頂部に築かれている。
主郭は最高所にあり、北側がやや小高く東西両側に土塁状に伸びている。そこから南へ段があり、南東側にやや広い段があるが切岸は低く削平も甘い。
主郭から北へ伸びる尾根には二条の堀切があり、東へ伸びる竪堀に土塁が付いている。さらに北に小郭があり、その先に堀切が続く。その先は自然地形になっているが、やや離れた位置にも堀切が残っている。
南の麓には宅地となっているが光源寺があったと云われ、西側の小川に面して南北に土塁が残っている。
青い屋根の工場の隣に「高源寺城跡」の道標が出ている。山道はないが、ここから細い路地を入り民家の脇から山に取り付くことができる。麓の民家の方が付けているモノレールが主郭のすぐ下まで続いているので、これに沿えば迷わない。
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