安芸 千代城あき せんだいじょう
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築城年代は定かではない。出張城主白井氏の支城であった。『芸藩通志』によれば、白井備中と古の萬五郎が出張城の落城後に大内氏に降伏し、子の萬五郎が千代城を守ったが、後に毛利によって滅ぼされたという。
千代城は標高38.2mの千代山に築かれていた。かつては東の鹿籠山から続いていたが、山陽本線によって分断され、現在は宅地造成されて遺構はない。
西の県道164号線から少し入った所に案内板が設置されている。