『芸藩通志』には「阿計玖羅城 畑賀、府中二村の界にあり、石津畑賀居所、」とある。
阿計玖羅城は府中町と畑賀町の間に聳える標高281mの揚倉山に築かれており、現在はハイキングコースの一部になっている。
小規模かつ風化が進んでおり遺構の残存度は良くない。主郭は山頂Iで削平は甘く緩やかな傾斜し中央には巨石が残る。明確な城郭遺構は北尾根に残る堀切で、堀切1、2と二条の堀切が残る。
南尾根は主郭の切岸下方は緩傾斜地形になっているが、切岸直下から少し離れた位置に堀切状の溝が二ヶ所(堀切5、6)確認できる。また南東側の尾根にも浅い堀切4がある。
西下は鉄塔があるが、鉄塔にともなって削平された橋脚部以外傾斜しており、腰曲輪などはなかったようだ。さらに西下には幅広の浅い溝があり堀切3の可能性がある。この先は自然地形になっている。
揚倉山の北峰には三角点のある茶臼山があるが、この峰の北と東の尾根に堀切状の溝が確認できる。曲輪となるべき平坦面はないが、兵の緩傾斜地形なので駐屯は可能である。堀切7は北尾根を遮断する堀切として形状に違和感はないが、阿計玖羅城や新城城の堀切とは作り方が異なり平坦面からの比高が小さい。東の堀切8は北側に竪堀が伸びる堀切状地形だが、南側は山道のようでもあり遺構としてははっきりしない。
南の県道から西山腹をとおる林道に入って少し北へ進んで行くと登山口があり、付近に駐車可能である。
最寄り駅(直線距離)