『芸藩通志』には「串山 奥海田村にあり、串山肥後所居といふ、」とある。
阿曽沼氏の属城で串山肥後守の居城と伝えられる。
串山城は標高63.5mの三角点のある山に築かれており、かつてはこのあたりまで海であった。
主郭Iは南端最高所にあり、北尾根に曲輪IIがある。いずれも土塁や明確な虎口は確認できない。主郭と曲輪IIの間に素掘りの井戸があり、覗き込むとかろうじて底が見えるくらいの深さである。
主郭の南下には大きな堀切1があり、西側には不明瞭ながら畝状竪堀群2がある。主郭の西下にも堀切3があり、その下方にも溝があるが堀かどうかは判断できない。
寺迫公園のところに案内板が設置させている。登口は北側で墓地まで山道があり、そこから登ることができる。
南側は住宅地となっているが、民家の敷地をとおらないと入れそうにない。
最寄り駅(直線距離)