築城年代は定かではない。城主は菅田豊後守と伝えられ、天文(1550年)頃に毛利元就によって落城し滅ぼされたという。
嵩山城は熊野町と海田町の境にある標高592.8mの城山山頂に築かれている。 熊野町と海田町を行き交う古道が通る古峠が北に、南側には赤穂峠があり、その中間付近に位置する。居館は南東麓にある堀之城と伝えられている。
嵩山城のある城山は山頂付近は特に巨石がゴロゴロしており、天然の要害を利用した城で小規模な山城である。主郭は山頂にあって東から南に掛けて帯曲輪が付いている。北と南東、南西の尾根は堀切で遮断している。南西端付近も削平されており、整備された尾根道は西へ続くが、南へ降りる急峻な道もここから付いているようだ。
南西の赤穂峠へ続く尾根には主郭部分からはだいぶ離れているが、堀切や竪土塁のような地形がある。自然地形のような気もするが、赤穂峠から100m程入った所にある堀切は規模も大きく、何故ここに?という感じだ。
登山道はいくつかあるようですが、熊野町側からだと「ゆるぎ観音」から続く道が良く整備されており駐車場もあって便利だ。赤穂峠経由で城山へ続いている。「ゆるぎ観音」は「筆の里工房」から100m程東にある所から北に入る道があり、そこに大きな道標が出ているのでわかる。
実はよく下調べもせずにきたので、鉄塔整備用道を利用して登った。これも赤穂峠に出ることができるが幾分大回り。鉄塔番号40,41の方に行けばいい。どちらの道も国土地理院の地図にある点線が示す山道とは違う。
最寄り駅(直線距離)