矢野城を参照。
発喜城は別名矢野城とも呼ばれ、標高593mの絵下山から北へ伸びた丘陵に築かれた山城である。矢野城は標高476mの発喜山、標高420mの矢野神社付近、そして現在矢野城の石碑が建っている標高265m付近の三つの場所に城郭遺構が残されている。 ここでは、発喜山と矢野神社付近の遺構を発喜城とし、県指定史跡として石碑の建つ部分は矢野城として掲載する。
発喜城は矢野城の詰城とも考えられ、矢野城より200m程高い標高476mに位置する。 発喜山を中心とする曲輪群はそれほど堅固なものではなく、数段の削平地が築かれているのみで、たいした遺構はない。
標高420m付近の野間神社付近の曲輪群も削平地はそれほど広いものではないが、岩が露出した天然の要害になっており、東の山腹には門を構えるのに適した天然の岩がいくつか残っている。神社の南背後は堀切になっており、南西側の岩は垂直になっている。