『芸藩通志』には「日裡山 畑賀村にあり、阿曽沼豊後隆郷所築、(中略)、陰徳太平記に、建武五年、小早川掃部助、民部入道等、藝州開田浦、火村山を保つとあり、開田は海田なるべし、畑賀、海田にも遠からず、火村、火裏國音相近し、多くは當城のことなるべし、されば阿曽沼は、その古城を修築て居守せしにや、」とある。
日浦山城は海田市駅の北東に聳える標高354.4mの日浦山に築かれていた。現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあって南北に長く、自然の巨石がところどころに残されているものの概ね削平されている。城郭としての加工はあまり見受けられず、自然の要害を利用したものである。『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』の図面では南西に堀切状の地形を描くが、自然地形であろう。
日浦山への登山道はa,b,cと3つのコースがある。aコースは薬師寺の墓地から登るコース。bコースは大師寺の墓地から奥の院を経て登るコースで周遊できる。駐車場はないので駅近くの有料駐車場を利用。
最寄り駅(直線距離)