『芸藩通志』には「茶臼山 戸坂村にあり、戸坂入道道海が所保なり、武田の麾下なりしが、罪を得て滅さると云、」とある。
武田氏の庶流と伝えられる戸坂氏の居城とされる。戸坂氏は天文9年(1540年)に大内氏に内通したことから武田氏に攻められ、このとき戸坂要害が落城、戸坂入道道海が自刃したと伝えられている。
戸坂城は標高260mの牛田山(茶臼山)に築かれており、現在は登山道が整備されている。
山頂が主郭となるが、その周辺の尾根は比較的なだらかな自然地形に近く、どこまでが城域となるか不明である。
主郭Iは山頂で展望台になっており、よく歩かれた山道が到達しており虎口などは明確ではない。北尾根には南北二段になった曲輪IIがあり、この部分は城郭遺構として違和感のない削平地である。
東尾根IIIは西山貝塚の案内板が設置されているが、緩斜面尾根で、曲輪かどうかはっきりしない。ただ、東端から北側に腰曲輪IVがあり、この辺りの削平は城郭遺構を思わせる。
西尾根も緩斜面尾根Vであるが、西端は削平されている。主郭下の部分は浅く溝状になっているが、登山道によるものかもしれない。南の山腹には戸坂入道道海の墓とされる石塔がある。
登山道は各方面からある。整備されていないが戸坂支城の尾根からも登るルートがある。
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