掲載写真数
形態
山城(413m/390m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,土塁,郭,堀
城 主
奥西仲綱,吉川興経
歴 史
築上年代は定かではない。
天文16年(1547年)叔父吉川経世と毛利元就によって吉川興経と嫡子千法師は隠居させられ吉川家は元就の次男元春を養子に迎えて家督を継がせた。
吉川興経は布川(現在の深川)に幽閉され天文19年(1590年)その存在に危機感を募らせた毛利元就によって粛正された。
説 明
山頂の本丸を中心に東西に伸びる尾根に曲輪が配置されている。
曲輪郡は山頂曲輪郡、西曲輪郡、東曲輪郡に分けられ合計25程確認されている。
山頂曲輪郡は堀切を隔てて東西にならび西側は東西2段に分かれ自然石で固めている。
東曲輪郡は総じて明瞭でなく自然石が散らばっている。
西曲輪郡は未確認。
案 内
主な登山口は2箇所ある。
一般的には福田側からで広島東インターチェンジを降りて突き当たりを右(北側)に曲り高架橋を潜って少し走った所に案内表示があり左に曲って行く。
深川側は県道70号線と県道35号線の交差点を西に向い直ぐの橋の西詰を左折して川沿いを走ると幅の狭い養老橋が架かっている。これを渡り直進すると左手の山へ向かう道がある。
最寄り駅(直線距離)
2.0km 上深川駅
2.3km 中深川駅
3.5km 下深川駅
3.9km 狩留家駅
4.2km 玖村駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年1月