永禄9年(1566年)毛利氏は出雲尼子氏の居城である月山富田城を降伏開城させた。尼子義久、倫久、秀久三兄弟は毛利氏に捕らえられ、長田の領主内藤元泰に預けられ幽閉された。このとき幽閉された地がこの円明寺屋敷と伝えられている。
天正17年(1589年)には志道の地に屋敷と給地を与えられ、関ヶ原合戦後には佐々木氏を名乗って萩藩士として続いた。『毛利氏八箇国御時代分限帳』には尼子領として長門国厚東と安芸国高田に合わせて821石余、友林(尼子義久)領として石見国那賀に1129石余が記載されている。
円明寺屋敷は「尼子三兄弟ゆかりの墓」に隣接して現存する。
尾根上を削平して東西を土塁として残しているが、堀などはない。
県道沿いに道標があり、それにしたがって進むと登口に至る。駐車場はないが入口が行き止まりなのでそこに駐車できる。
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