築城年代は定かではないが井原氏によって築かれたと云われる。 井原氏は藤原姓で足利尊氏に仕えて執事を務めた高師直の弟高師久(後に師重)の子、高氏教が安芸国高田郡井原庄を賜り下向したのが始まりで、はじめ井原高氏、後に井原氏を称している。
井原常陸介元師は毛利弘元の女を娶り毛利氏の関係を深めて、その後は毛利氏に従った。井原元尚の時、周防国三丘に転封となり廃城となった。
鍋谷城は神ノ倉山から西へ派生した尾根の先端頂部、標高312mの地点に築かれている。神ノ倉山への登山ルートの途中にあり、良く整備されている。
鍋谷城は東の尾根を三条の堀切で断ちきって独立させ、西へ伸びた尾根に階段状に曲輪を配している。主郭の東端には土塁があり、所々に石積を残して先端の「ふんばり石」のある曲輪まで階段状になっている。北下には石組みの井戸が残っている。山腹には竪堀がある。
登山道の脇には「肥いれずの田」、「馬稽古場」、「躍の段」などの案内板が設置された削平地が山腹にある。
県道37号線沿いに小さな道標が出ている。 城山の直ぐ下を舗装された林道が通っているが一般車は通行できない。県道から集落内に入って行く道の脇に案内板が設置されており、それに従えば登山口がある。
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