築城年代は定かではない。城主は井上元兼、市川経好が伝えられる。
市川経好は吉川一族で、吉川興経を廃して毛利元就の次男元春を迎え、その功によって市川を加増され市川氏を称したという。弘治3年(1557年)周防国高峰城番に抜擢され、永禄12年(1569年)に大内輝弘が周防に侵攻したときには、市川局とわずかな城兵がこれを撃退している。
星ヶ城は志和口駅の北東、三篠川に沿って南北に伸びた山塊の標高279mの峰に築かれている。現在は星ヶ城展望台として登山道が整備されている。
星ヶ城は山頂の主郭、南下の二郭、北西下に三郭、そこから西へ伸びた尾根に小さな段曲輪が残る。北尾根はやや方向を変えた三重堀切で遮断し、東側は竪堀として長く伸びている。その先は自然尾根であるが、わずかに堀切らしき地形も残る。南尾根は自然の鞍部を利用した堀切1で遮断している。
三郭の土塁の部分に井戸跡とされる大きな穴が空いている。この土塁部分は堀切側から見ると竪土塁のよう遮断する役目を果たしている。
西側の県道沿いに登山口の道標が出ており、その終点にある墓地の裏が登山口である。入口に一台駐車可能なスペースがある。
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