築城年代は定かではないが延徳3年(1491年)里見成義によって築かれたと云われる。
天文年間(1532年~1555年)に里見義豊と里見義堯との間で天文の内乱が起こると、義豊の滝田城と関連して宮本城が機能していたが、義堯方の勝利に終わると宮本城も廃城となったと云われてきた。しかし、宮本城はその後も機能していたと考えられている。
宮本城は道の駅「おおつの里」の東に聳える標高183mの城山に築かれている。登山道は整備されていたが、近年の台風による倒木の影響が大きく、主郭東下のあたりまでは倒木をくぐりながら歩いていくことができるが、主郭部一帯はヤブに埋もれていた。
宮本城は城山山頂部を主郭とするが、その東側にある南北に伸びた丘陵にも遺構が拡がる大規模な山城である。
主郭部は広い曲輪を段々に連ねるような単純な縄張であったようだが、残念ながらヤブと倒木によってほとんど見学することができなかった。
山頂から北東に伸びた尾根には堀切や土塁の付いた曲輪が続き、東峰との鞍部には大きな堀切が残されている。
南北に伸びた東峰は山頂部は開墾されていたようで、遺構としてもあまり明瞭ではないが、南尾根の先端部に二重堀切が確認できる。
登山口は南の集落にある車道の途中にある。道の駅の南側の道路を東へ進んで行くとトンネルがあり、その東出口から北の山上集落に続く道がある。この登口に駐車可能で、車道を歩いて登ると途中に宮本城入口の道標が出ている。
最寄り駅(直線距離)