築城年代は定かではない。 天文の頃の城主は一色九郎で、里見義豊の妹婿であった。
義豊が里見義尭によって安房を追われると、義豊の妹婿である一色氏の滝田城も攻められ落城した。
義尭は義豊を犬掛の合戦で討ち取ると稲村城から部久里(平群)郡に一時居城としてが、それが滝田城だとされている。
城は県道88号線と県道258号線の交差点の西に聳える山に築かれている。
山頂は櫓台と書かれた一段高くなった削平地で、現在鉄塔が建っている。その北側が主郭で、北側に小郭が並び、北東に伸びる尾根に二の郭がある。さらに北東に降りて行くと馬場とされる細長く伸びた曲輪がある。
櫓台の背後は南東、南西に伸びる尾根を堀切で断ち、南東尾根には土橋が架かる。そこから更に尾根を進むと展望台があり、「里見八犬伝」発祥の地として伏姫の像がたてられている。この先は細尾根となり、堀切らしき跡も確認できる。