築城年代は定かではない。 元亀元年(1570年)里見義弘は土地の豪族岡本安泰の居城を譲り受け、これを改修して子義頼を置いた。
天正6年(1578年)義弘が没すると安房を基盤とする義頼と上総を基盤とする義弘の晩年の子梅王丸との間で家督争いが勃発した。 天正8年(1580年)義頼は久留里城、千年城などを落とし梅王丸の居城佐貫城をも落として梅王丸を捕え出家させた。さらに東上総に勢力を持つ正木憲時が謀反するが、これもほどなく制圧した。
その後、義頼の子義康の代となり、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で里見氏は上総の所領を失い、安房一国を安堵され居城は館山城へと移された。