毛利元就は毛利弘元の次男として明応6年(1497年)3月14日に生まれた。生誕の地は母福原氏の居城である鈴尾城とされ誕生の碑が建っている。父毛利弘元の隠居に伴い多治比猿掛城に移り住んだ。永正13年(1516年)兄で家督を継いでいた毛利興元が没すると、その嫡男幸松丸はまだ幼小であったことから元就が後見することとなる。しかし、その幸松丸も大永3年(1523年)にわずか九歳で夭折し、毛利家の家督は元就が継ぐこととなった。
元就は安芸の一国人領主であった毛利家を中国一の戦国大名にまで成長させることに成功、嫡男隆元は元就に先立ちなくなったが、孫の毛利輝元は豊臣政権下で五大老の一人となる。関ヶ原合戦で防長二カ国に減封となったが萩藩主として毛利家は明治まで続いた。