桂広澄の墓かつらひろずみのはか

城郭放浪記


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桂広澄の墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
なし/不明
説 明

桂広澄は桂城主で毛利一族坂氏を出自とし桂村に分家し桂氏を称した。大永3年(1523年)から続いた毛利家の家督相続争いで元就の弟相合元綱を擁して謀叛を興し坂氏が成敗されると、事件には直接関係はなかったが、坂氏の出ということで桂広澄も自刃して果てた。桂氏の家督は広澄の子元澄が相続しており、以後も桂家は毛利の重臣として続いている。

桂広澄の墓は桂城の南東麓にある。少々わかりづらいが、山裾を巡る細い道路から少し山側に石碑が建っているのが見える。

桂広澄の墓の写真
3:桂広澄の墓
案 内
最寄り駅(直線距離)
5.5km 井原市駅
6.2km 向原駅
8.6km 志和口駅
9.0km 吉田口駅
所在地/地図
広島県安芸高田市吉田町桂
付近の史跡(直線距離)
1.4km 福原氏墓所(楞厳寺跡)
4.3km 尼子下野守義勝(久幸)の墓
4.3km 尼子三兄弟ゆかりの墓
4.5km 湯原弥二郎切腹岩
5.1km 国司右京亮の墓(休照庵跡)
5.3km 毛利弘元墓所(悦叟院跡)
5.5km 小早川隆景屋敷(藤社神社)
6.3km 毛利隆元墓所
6.5km 毛利元就と毛利一族墓所
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