桂広澄の墓かつらひろずみのはか
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桂広澄は桂城主で毛利一族坂氏を出自とし桂村に分家し桂氏を称した。大永3年(1523年)から続いた毛利家の家督相続争いで元就の弟相合元綱を擁して謀叛を興し坂氏が成敗されると、事件には直接関係はなかったが、坂氏の出ということで桂広澄も自刃して果てた。桂氏の家督は広澄の子元澄が相続しており、以後も桂家は毛利の重臣として続いている。
桂広澄の墓は桂城の南東麓にある。少々わかりづらいが、山裾を巡る細い道路から少し山側に石碑が建っているのが見える。