湯原弥二郎切腹岩ゆはらやじろうはらきりいわ
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湯原弥二郎宗綱は尼子の家臣である。天文9年(1540年)尼子晴久は吉田郡山城の毛利元就攻めを開始する。このとき湯原宗綱は兵千五百を率いて向原方面に展開する毛利軍を攻めようとしたが、峠の頂上付近で合戦となり大敗を喫した。湯原弥二郎は日も暮れようとしていた頃、戦場から逃れ損じて深田に馬を乗り入れてしまい、進退窮まって岩の上で切腹したという。これが『湯原弥二郎切腹岩』と呼ばれている。
湯原弥二郎切腹岩は吉田町と向原町を結ぶ県道29号線沿いにあり、道の西側に案内板が設置されている。