国司氏は足利尊氏の重臣高師直の弟高師泰の子師武が安芸国高田郡国司荘に下向して土着し国司氏を称したことに始まると云われる。
国司氏は代々毛利の重臣として仕え、国司有純は毛利元就の後見役、その子有相も毛利元就の家督相続に尽力した。有相の子国司元相は家老として毛利家の躍進に尽力し、元相の子元武のときに防長二カ国に減封となり伊賀地村に移っている。
国司右京亮の墓は可愛川(江の川)南岸にあり、背後の山から北麓に続くやや小高い位置にある。ここが国司氏の菩提寺であった休照庵跡という。ちょうど吉田町と向原町を結ぶ県道29号線の近くである。