毛利弘元墓所(悦叟院跡)もうりひろもとぼしょ
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毛利弘元は安芸の吉田郡山城主で毛利元就の父である。明応9年(1500年)家督を嫡男興元に譲って隠居し、次男元就を伴って猿掛城を隠居城として過ごしたという。永正3年(1506年)1月21日に享年39歳で没した。
毛利弘元墓所は猿掛城の北山腹にあり、教善寺に向かう道の途中にある。毛利弘元墓所の東隣にある平地が菩提寺であった悦叟院跡で、弘元の墓の隣には正室で元就の母でもある福原広俊の女の墓がある。これは大正10年に福原氏墓所からこの地へ移葬されたものである。