若狭 駈倉山城わかさ かけくらやまじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (若狭国/福井県) > 駈倉山城
Tweet
若狭 駈倉山城の写真
掲載写真数
形態
山城(213m/170m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,曲輪,横堀,虎口
城 主
朝倉氏?,若狭衆?
縄張図
駈倉山城縄張図
歴 史

詳細不明。永禄年間(1558年~1570年)に国吉城を攻めた朝倉軍の陣城とする説、天正11年(1583年)羽柴氏と柴田氏が戦った賎ヶ岳の戦いに備え、羽柴方の若狭衆によって築かれた陣城とする説などがある。

説 明

駈倉山城は若狭と越前の国境となる関峠の近く、標高212.6mの山に築かれている。

単郭の城であるが、山上の地形に沿って大規模な土塁で囲繞しており曲輪は広い。曲輪の内部は完全に削平されておらず凹凸を残す。土塁の内側に溝があるのは土塁を構築するための土を内側から採ったためにできたものである。

土塁線はほぼ直線的なもので、南側は地形に沿って湾曲する。西辺がわずかに折れており、虎口1に対して横矢が掛けられる。土塁の外側はほぼ自然地形で、帯曲輪(犬走)や横堀になっている部分もある。

虎口は北西隅の虎口1、北東隅の虎口2の2か所開口している。

虎口1は平入虎口の脇はやや櫓台状に土塁が拡がり、外側にかざし土塁のような鈎状の土塁が構築されている。外側の土塁は尾根の肩との間にわずかに開口するA部分と、東の帯曲輪方面に続くB部分がある。

虎口2は平入で土塁は櫓台状とはならない。こちらも外側に矩形の土塁があり、南側Cが開口する。この開口部も尾根の肩との部分に開口しており、東尾根へ出ることが可能であるが、地形としてやや違和感がある。

推測ではあるが、東尾根へは竪堀Dに対して木橋を架け、開口部Bを経由して虎口1に入ることを想定し、虎口2の外側にある桝型状空間は堡塁として機能したのではないだろうか。

案 内

整備された道はない。織田神社から国道バイパスの上のあたりをとおって尾根伝いに行くことができるが、GPSなどを活用して迷わないようにしたほうがよい。

織田神社の駐車場から池に向かう農道があり、その行き止まりにフェンスの開口部がある。ここから山に入ることができる。

最寄り駅(直線距離)
1.7km 東美浜駅
2.7km 粟野駅
6.1km 美浜駅
6.3km 西敦賀駅
7.4km 敦賀駅
主な参考文献
戦国の若狭 ~人と城~(大森宏著)
北陸の名城を歩く 福井編(吉川弘文館)
朝倉氏の城郭と合戦(戎光祥出版)
若狭中世城郭図面集I(桂書房)
織豊系陣城事典(戎光祥出版)
所在地/地図
福井県三方郡美浜町佐田
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
1.4km 若狭 狩倉山城
1.4km 若狭 中山の付城
2.1km 越前 金山城
2.4km 若狭 岩出山砦
2.7km 若狭 山上田ノ上城
3.2km 若狭 国吉城
3.6km 若狭 佐柿陣屋
3.6km 若狭 国吉城居館
5.4km 越前 花城山城
6.7km 越前 敦賀城
6.7km 若狭 土井山砦
8.2km 越前 金ヶ崎城
8.5km 越前 天筒山城
8.9km 越前 鳥越城
9.3km 越前 敦賀陣屋
9.5km 越前 疋檀城
9.5km 越前 御庵山城
9.7km 若狭 一宮城
最終訪問日
2023年3月
TOP > > (若狭国/福井県) > 駈倉山城