正暦4年(993年)藤原共資によって築かれたと云われる。 巡検使として遠江へ下向した共資が築城し遠江国司として居城していたが、子の共保の時に井伊谷へ移って廃城となったという。
日本城郭体系にある志津城の石碑が「浜名湖国際頭脳センター」にあるということが帰宅してから判明したのだが...。
それはさておき、志津城は地図では「浜名湖国際頭脳センター」の西にある小高い丘の上にある。日本城郭体系では城山は浜名湖を埋め立てるために削られたと記述されているのだが、実際登ってみた所、神社とその奥一帯には城址らしい平坦面と段をいくつか見ることができる。神社と奥の平坦面の間が空堀なのかどうか、草が生い茂って確認できないのだが、城跡の雰囲気は残っている。