遠江 宇津山城とおとうみ うつやまじょう

城郭放浪記


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遠江 宇津山城の写真
掲載写真数
形態
山城(51m/50m)
別 名
なし
文化財指定
市指定史跡
遺 構
石垣,土塁,郭,堀
城 主
長池親能,小原親高,朝比奈氏,小原鎮実,松平家忠,松平清善
歴 史

大永4年(1524年)今川氏親の命令によって長池六郎左衛門親能によって築かれたと云われる。

城主ははじめ長池六郎左衛門親能、ついで小原親高、享禄年間(1528年〜1532年)には朝比奈氏が城主となった。永禄10年(1567年)宇津山城主朝比奈真次が徳川氏に寝返った為、三河国吉田城主小原鎮実が宇津山城を攻め落とした。

永禄11年(1568年)には徳川家康が遠江に侵攻し、同年12月宇津山城は落城、家康は松平家忠を宇津山城主とし、元亀3年(1572年)には松平備後守清善が城番となった。このとき清善は竹谷松平家の家督を子の清宗に譲っていたが、友長千貫の地を賜り城番となったという。

説 明

宇津山城は浜名湖西岸にあり湖に突き出した正太寺鼻にある宇津山に築かれている。

宇津山城は西の山頂を中心として南北に曲輪を連ねた曲輪群と、東の正太寺鼻に向かって東西に曲輪を連ねた曲輪群で構成されている。

山頂から南北に連なる曲輪群は北側部分に石積の土塁が西から北、そして東側を巡った曲輪がありこの城の最大の見所である。この土塁の東側に虎口が開き小郭を経て南北に長い曲輪に至る。土塁の外側は石積された段が中腹まで続いている。

東側の東西に連なる曲輪群は西側が畑となり、東側に向かって曲輪が伸びているのだが途中の竹藪は密度が濃くまったく進めない状態になったのでほとんど確認できていない。ただ北側斜面の上部は垂直に近い絶壁である。

正太寺には宇津山城主の五輪塔が残っている。

案 内

正太寺を目指す。正太寺の脇から山頂の墓地まで車道が付いているのでそのまま車で登ることができる。

最寄り駅(直線距離)
2.0km 知波田駅
3.0km 大森駅
3.2km 尾奈駅
4.5km 奥浜名湖駅
4.5km 鷲津駅
所在地/地図
静岡県湖西市入出字正太寺鼻
付近の城(直線距離)
2.1km 遠江 尾奈砦
2.4km 遠江 岡城
3.1km 遠江 尾奈居館
4.0km 遠江 吉美城
4.5km 遠江 佐久城
4.8km 遠江 鵺代居館
5.2km 遠江 野地城
5.2km 遠江 堂崎居館
5.3km 遠江 本坂居館(大月寺)
5.5km 遠江 日比沢城
5.6km 遠江 本坂関所
5.7km 遠江 浜崎居館
5.8km 遠江 本坂居館(角兵衛屋敷)
5.9km 遠江 本坂居館(源兵衛屋敷)
6.1km 三河 船形山城
6.3km 遠江 浜名総社神主屋敷
6.5km 遠江 神目代屋敷
6.7km 遠江 鯉山砦
6.7km 遠江 安形伊賀守屋敷
6.9km 遠江 岡本居館
6.9km 遠江 大谷代官屋敷
7.0km 遠江 大谷陣屋
7.2km 遠江 乾山屋敷
7.2km 遠江 志津城
最終訪問日
2010年2月
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