大永4年(1524年)今川氏親の命令によって長池六郎左衛門親能によって築かれたと云われる。
城主ははじめ長池六郎左衛門親能、ついで小原親高、享禄年間(1528年〜1532年)には朝比奈氏が城主となった。永禄10年(1567年)宇津山城主朝比奈真次が徳川氏に寝返った為、三河国吉田城主小原鎮実が宇津山城を攻め落とした。
永禄11年(1568年)には徳川家康が遠江に侵攻し、同年12月宇津山城は落城、家康は松平家忠を宇津山城主とし、元亀3年(1572年)には松平備後守清善が城番となった。このとき清善は竹谷松平家の家督を子の清宗に譲っていたが、友長千貫の地を賜り城番となったという。
宇津山城は浜名湖西岸にあり湖に突き出した正太寺鼻にある宇津山に築かれている。
宇津山城は西の山頂を中心として南北に曲輪を連ねた曲輪群と、東の正太寺鼻に向かって東西に曲輪を連ねた曲輪群で構成されている。
山頂から南北に連なる曲輪群は北側部分に石積の土塁が西から北、そして東側を巡った曲輪がありこの城の最大の見所である。この土塁の東側に虎口が開き小郭を経て南北に長い曲輪に至る。土塁の外側は石積された段が中腹まで続いている。
東側の東西に連なる曲輪群は西側が畑となり、東側に向かって曲輪が伸びているのだが途中の竹藪は密度が濃くまったく進めない状態になったのでほとんど確認できていない。ただ北側斜面の上部は垂直に近い絶壁である。
正太寺には宇津山城主の五輪塔が残っている。
正太寺を目指す。正太寺の脇から山頂の墓地まで車道が付いているのでそのまま車で登ることができる。
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