貞和4年・正平3年(1348年)浜名清政によって築かれたと云われる。 浜名氏は源頼政の末裔と云われ、この地を治めていたが、南北朝時代に北朝に属して一時この地を追われ伊勢国・美濃国へ逃れていたが、北朝の勢力が回復するとこの地へ戻ったという。
戦国時代には今川氏に属しており、今川義元が桶狭間に倒れると三河国の徳川家康の遠江侵攻に抵抗するが敗れ、一族は滅亡したという。
徳川氏が領すると本多信俊が入城したが、天正11年(1583年)信俊は野地城を築いて移った。
佐久城は猪鼻湖に突き出した岬に築かれた城で、現在は市指定史跡として整備されている。
主郭は岬の先端で南に続く尾根側に枡形から土橋を経て丸馬出となる遺構が特に目を引く。空堀は幅広く、土橋が架かる空堀と馬出し外側の空堀で二重空堀を構成する。主郭は空堀がある南側にのみ大土塁を設け、湖側には土塁がない。 馬出しから南側の丘陵にも曲輪が続いていたと考えられているが、後世の開発により判然としない。
別荘地帯の奥に佐久城入口があり、入口前にが駐車場となって、1、2台駐車可能である。
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