詳細不明。那須氏の一族金枝氏の城とされる。
『那須記』には天文18年(1549年)の五月女坂の戦で金枝近江守義隆、永禄10年(1567年)大崖山の戦では金枝近江守泰晴の名が確認できる。
金枝城は江川の段丘に沿って南北に伸びる丘陵の一角に築かれている。
主郭は北端にあり、南側に高土塁を備え周囲は巨大な横堀が巡る。南東に向かって堀で区画された曲輪が連なり、南端部分にはきれいな外枡形の虎口が残る。
西山腹に向かって堀と土塁で区画された曲輪群が連なっているが、荒廃した竹藪が凄まじい。
北側の農道の一角から北の横堀に入る道がある。
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