下野 御前城しもつけ ごぜんじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではないが氏家公頼の頃に築かれたと考えられている。
その後、勝山城とともに氏家氏の城として利用され、慶長2年(1597年)頃に廃城となるまで利用された。
御前城は現在の氏家小学校一帯に築かれていた。学校建築によって大半の遺構は消滅してしまったが、校舎の東側に御前城の北東隅部の土塁が残され、そこに案内板が建っている。
氏家小学校の東側の校門を入った所に道標が建っており、それに従って北へ進んでいくと土塁が残っている。