築城年代は定かではないが永正元年(1504年)頃に織田弾正忠信定によって築かれたと云われる。 織田信定は織田信長の祖父で、尾張下四郡の守護代「織田大和守家」の庶流であった。
織田信定は勝幡城に城を築いて津島神社の門前町として栄えた津島を押さえていた。嫡男信秀は天文年間(1532年〜1555年)始めに家督を継ぐと豊かな経済力を背景に勢力を拡げ、天文元年(1532年)頃に今川氏豊の居城であった那古屋城を攻略して移り、勝幡城には武藤掃部が置かれた。
勝幡城は日光川付近に築かれていた。日光川に架かる「よめふりはし」の東詰めに石碑が建っており、橋には勝幡城の復元図が描かれている。