築城年代は定かではないが、大永年間(1521年〜1527年)今川氏親によって築かれた那古屋城が前身となる。
那古屋城には今川氏の一族今川氏豊が在城していたが、天文3年(1534年)頃には勝幡城主であった織田信秀の属城となり、嫡男織田信長が城主となった。信長はその後、清洲城へと居城を移し、那古屋城には織田信光、林通勝などが城主となるが天正10年(1582年)頃には一度廃城となった。
慶長15年(1610年)徳川家康は関ヶ原合戦後、廃城となっていた那古屋城跡に新たに名古屋城を築いた。築城は天下普請で行われ、天下普請には前田、池田、加藤、福島、黒田など二十家の大名に割り振られた。
完成した名古屋城には徳川家康の九男義直が清洲から移り、以降徳川御三家筆頭尾張徳川家代々の居城となる。
名古屋城は名古屋市役所の北西に築かれた平城で、現在は名城公園として整備されている。
名古屋城は本丸を中心に南東に二の丸、南西に西の丸、北西に御深井丸があり、南に三の丸を配していた。
本丸にはかつて五層五階地下一階の大天守が聳えていたが、戦災によって焼失し、現在は鉄筋コンクリートで再建されている。しかし、本丸には西南隅櫓、東南櫓が現存、近年本丸御殿も木造によって復元整備が進んでいる。
本丸の虎口は三ヶ所にあり、南が大手、東が搦手でそれぞれ内桝形と外側に角馬出が築かれている。ただし、南の大手側は馬出は埋め立てられ現存しない。
辰巳櫓(東南櫓)(現存 櫓)
未申櫓(西南櫓)(現存 櫓)
戌亥櫓(清州櫓・西北櫓)(現存 櫓)
二之門(表二之門)(現存 城門)
二之丸大手二之門(現存 城門)
二之丸東二之門(移築 城門)
本丸不明門(復元 城門)
本丸御殿(復元 御殿)
天守(復興 天守)
小天守(復興 天守)
正門(模擬 櫓門)