尾張 日比津城おわり ひびつじょう
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南北朝時代に野尻掃部が城主であったという。北東側には家老野尻藤松の居城である栗山城があった。
大円寺を含む北側一帯が日比津城のあった所とされるが遺構はない。 大円寺には野尻氏と伝えれる石塔二基が残り、一つは貞治4年(1365年)、もう一つは応永17年(1410年)の年号が刻まれているという。